酒、女、ギャンブルの話のみでも結構楽しいよって話。
少し前に地方だと酒、女、ギャンブルの話ばかりで話しが合わないってのを見ました。
私も若いころはこれ思っていたんですよ。上京したての頃くらいかな。たぶん色々なところで地方に残る人間はそんなのばっかりだとどこかで見ていて、自分はそんな低俗な会話で楽しみを見出すような人間じゃないって思いたかったんだろうなと。
それでその時に自分がどんな話をしていたかと考えてみると、大した話してなかったなと思うんです。というより、上記の会話否定してた時期は読書が趣味とか言ってました、確かに本は読むんですけど詳しく話せるかといわれるとそんなでもないっていう。でも読書が趣味ってなんだか高尚じゃないって。読書が趣味の人って少なからずそんな感じなんじゃないのかなと。
そんなことを続けていたのですが、ふとしたときに気が付いたんです。あれ、コミュ力ないだけじゃねっと。よく考えたら別に同じものを好きな人同士で話すことなんてそんなに多くないんですよ。だから、話が合わないからこの環境やだなーって言っていて周りと話さないのは自分のコミュ力のなさを認めるのが嫌なんだったんだろうなと。
そんなこと思い始めてから、自分が興味なくても周りの人の会話に適当に合わせるようにしていきました。そしたら確かに話は合わないんですけど、興味をもって話を聞いているだけで相手が楽しそうに話をしてくれるんですよ。
そんな会話に時間を割くのは無駄だって考えているんであればいいんですけど、その時間を何に使うのって話でたぶんだらっとして終わりなんじゃないのかなと。たちが悪いのがこの手の話って意識が高い系の本だと結構礼讃されていたりします、時間は大切で無駄な会話に時間を割くべきじゃないって。結局大半の中途半端な低俗って思われたくない私みたいな人は無駄な会話に時間を割かないほうだけ採用して、結局の所ろくなことに時間使わないっていう。
昔は低俗って思われたくない言い換えるとたぶん、自分はそんな人間と違って優秀だと勝手に思い込んでいただけだと。実際現在はいいか悪いかはわかりませんが自分は優秀じゃないってわかってきました。その中でどうやって生きていくかって話で、人の話を低俗って簡単に切り捨てていって生きていけるのは優秀で求められる仕事をしている人間じゃないと厳しい、それじゃあってことで愛想で売っていこうと。というよりかは能力が低いので人から可愛がられないと話にならないわけです。いじりやすいおっさんが現在の目指すところです。格好悪いですか。それでも生きていかなきゃいけないわけで。
それとちゃんと話聞くと楽しいですよ。酒の話も女の話もギャンブルの話も。自分がやるやらないは別としてどの話も詳しい人の話はそんな歴史があるんだと結構勉強になりますし。
ふと考えたらこのブログはもっと女の話をしなきゃいけないんじゃないかと、問題は話せることがないっていう、切ねぇ。
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